SNSを開くたびに、胸のどこかがひゅっとする。
昨日投稿した写真に、どれくらいの「いいね」がついたか。
思っていたより少ないと、理由も分からないまま、少し気持ちが沈む。
多いときは、ほんの一瞬だけ、肩の力が抜ける。
その上下動は、とても小さくて、でも意外と無視できない。
自分でも「こんなことで」と思いながら、
それでも指は、また画面を更新している。
誰かに比べられているわけでもないのに、
数字が並んでいるだけなのに、
気持ちの重さだけが、じわっと変わる。
その感じが生まれる場面
いいねの数を気にする瞬間は、たいていとても静かな時間だ。
通勤電車の中、寝る前の布団の中、
少し疲れて、ぼんやりしているとき。
周りには何も起きていないのに、
画面の中では、誰かの投稿が流れ、
別の誰かの反応が数字として積み重なっていく。
自分の投稿だけが、
そこから少し遅れて、取り残されているように見える。
職場で評価されるわけでもなく、
家族から何か言われたわけでもない。
それでも「ここにいる自分」は、
どれくらい受け取られたのかを、
その小さな数字で測られているような感覚になる。
脳の中で起きていること
この反応には、行動経済学でいう「社会的比較」という仕組みが関わっている。
人の脳は、自分の価値を、絶対的な基準ではなく、
周囲との関係の中で感じ取るようにつくられている。
いいねの数は、
誰かが自分を見た、反応した、という痕跡を、
とても分かりやすい形で残す。
脳はそれを、
「ここに自分がいる」「無視されていない」という
小さな安心のサインとして受け取る。
だから数字が増えると、
ほんの少し、胸の奥が温かくなる。
減ると、理由の分からない不安が広がる。
それは承認を求めているというより、
「自分がこの場に含まれているか」を確かめている感覚に近い。
それが悪いわけではない
この反応は、弱さでも、浅さでもなく、
人間の基本的な設計に近い。
もともと人は、集団の中で生き延びてきた。
周囲からの反応に敏感であることは、
かつては命を守るために必要だった。
日本の空気は、
その感覚をさらに細かくする。
目立ちすぎないこと、空気を読むこと、
周りと足並みをそろえること。
いいねの数は、
その「空気」の代わりを、
数字で見せてくる。
だから、気になってしまうのは、
この社会で生きてきた脳が、
ただ静かに働いているだけなのかもしれない。
余韻
画面に並ぶ小さな数字が、
その日の気分を少し動かす。
それは、
自分の価値がそこにあるというより、
脳が「ここにいる」と確認したがっている
名残のようにも見える。
そう思うと、
あのひゅっとした感じが、
少しだけ、違う輪郭を持つこともある。
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