SNSを何気なく開いたとき、
そこに流れてくるのは、誰かの近況や写真や報告だ。
楽しそうな食事、仕事の節目、家族の話、旅行の記録。
それらを眺めているうちに、
自分の中に静かな焦りのようなものが浮かんでくることがある。
特別な不満があるわけではないのに、
「自分は何をしているんだろう」と思ってしまう。
比べるつもりはなくても、
なぜか心が少しだけ落ち着かなくなる。
その感じは、言葉にしづらいけれど、
確かにそこにある。
その感じが生まれる場面
この感覚は、忙しいときよりも、
少し時間が空いたときに強くなることが多い。
仕事の合間や、夜のひとりの時間、
電車の中でふとスマホを見たとき。
誰かの投稿が、
自分より少し先を歩いているように見える瞬間がある。
結婚や出産、昇進や転職、
そういった出来事が続いて表示されると、
自分の現在地が曖昧に感じられてくる。
家族や昔の知人の投稿ほど、
その感覚は強くなることもある。
距離が近いほど、
比べる気がなくても比べてしまう。
画面の中の出来事と、
今ここにある自分の生活の間に、
小さなズレが生まれる。
脳の中で起きていること
このとき、脳の中では「社会的比較」と呼ばれる働きが動いている。
人の脳は、まわりの人の状態を手がかりにして、
自分がどこにいるのかを判断しようとする。
それは不安を減らし、
集団の中で安全に生きるための仕組みでもある。
SNSでは、この比較の材料が途切れなく流れてくる。
しかも、それは日常の全体ではなく、
切り取られた場面だけが並ぶ。
脳はそれを「みんなの今」として受け取りやすい。
すると、自分の静かな時間が、
「動いていない時間」に見えてしまう。
行動経済学では、
こうした見え方の偏りを「利用可能性ヒューリスティック」と呼ぶことがある。
目に入りやすい情報ほど、
それが全体だと錯覚してしまう傾向のことだ。
それが悪いわけではない
こうした反応は、人間の設計として自然なものだ。
まわりの様子を気にすることで、
孤立や危険を避けてきた歴史がある。
日本の社会では、
同じタイミングで進むことが安心につながりやすい。
だから、少しズレたように感じると、
不安が強くなることもある。
SNSは、その空気を画面の中に凝縮しているような場所でもある。
この仕組みを知ると、
あの焦りが少し違って見えることもある。
それは性格の問題というより、
環境と脳の反応が重なった結果かもしれない。
余韻
SNSを見て感じる「遅れている気がする」という感覚は、
自分の内側だけで生まれているわけではない。
情報の並び方と、脳の働きが、
そっとその気持ちをつくっている。
それに気づいたからといって、
すぐに何かが変わるわけではないかもしれない。
けれど、
少しだけ見え方が緩むことはある。
画面の中の速さと、
自分の時間の流れが、
必ずしも同じではないということを、
ほんの少し思い出すきっかけになるかもしれない。
※このテーマについては、下記のページで整理しています
