誰かの話を聞いたり、
SNSを眺めたりしていると、
気づかないうちに、
自分とその人を並べてしまうことがある。
比べるつもりはなかったはずなのに、
心の中で、
静かに順位のようなものがついていく。
そのあとに残るのは、
少しの疲れや、
言葉にしにくいざわつきだったりする。
「比べないようにしよう」と思っても、
その思いとは別のところで、
比べる動きが続いているような感覚。
その矛盾に、
戸惑う人もいるかもしれない。
その感じが生まれる場面
この感覚は、
特別な場面だけでなく、
日常の中に溶け込んでいる。
職場で同僚の話を聞いたとき。
友人の近況を聞いたとき。
家族や親戚から誰かの話を聞いたとき。
そして、
SNSで流れてくるたくさんの報告を見たとき。
それぞれはただの情報のはずなのに、
いくつも重なると、
自分の今が、
どこにあるのかを測られているような気がしてくる。
比べようとしていなくても、
状況がそうさせてしまう。
脳の中で起きていること
このとき、脳は「社会的比較」という働きを使っている。
人は、
まわりの人の状態を手がかりにして、
自分の位置を感じ取ろうとする。
行動経済学では、
人が自分の状況を評価するとき、
「参照点」となる他人の存在を使うことが知られている。
似た年齢、似た環境の人ほど、
その参照点としての影響は強くなる。
誰かの出来事を見るとき、
脳はそれを、
自分の評価の材料として取り込んでしまう。
意識していなくても、
その処理は静かに進んでいる。
それが悪いわけではない
こうした反応は、
人間の自然な設計の一部だ。
集団の中で生きるために、
まわりと自分を比べる仕組みが備わっている。
日本の環境では、
同じペースで進んでいることが、
安心につながりやすい。
だから、
少しのズレが、
大きく感じられることもある。
比べてしまうこと自体は、
意志の弱さというより、
環境と脳の反応が重なった結果のようにも見える。
余韻
比べたくないのに比べてしまうとき、
そこには、
意志よりも先に動く仕組みがある。
それを知ることで、
あの感覚が、
少しだけ別のものに見えることもある。
消さなくてもいいし、
止めなくてもいい。
ただ、
「こういうふうに感じる理由があるのかもしれない」と思えるだけで、
見え方の輪郭が、
ほんの少しだけやわらぐことがある。
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