売上、フォロワー数、再生回数、評価の点数。
気づくと、いろいろな場所に数字が並んでいる。
それを見た瞬間、
胸の奥で何かがきゅっと縮むことがある。
「これが今の自分なのかもしれない」
そんな言葉が、はっきりしないまま浮かぶ。
別に誰かにそう言われたわけでもないのに、
数字が、自分の値段のように見えてしまう。
うまくいっているときは、
少しだけ呼吸が楽になる。
落ちているときは、
理由の分からない焦りがにじむ。
その波に、自分の気分が引っ張られていることに、
後から気づく。
その感じが生まれる場面
この感覚は、
何かを「見える形」で比べられるときに強くなる。
仕事の売上を見たとき。
SNSの反応を開いたとき。
誰かの成果を聞いたとき。
自分の中では、
昨日も今日も、似たように過ごしているのに、
数字だけが、少しずつ動く。
日本の職場や学校では、
成績や評価が、
とても静かに、でもはっきりと並べられる。
それを見ながら、
自分がどのあたりにいるのかを、
無意識に測ってしまう。
その測り方が、
いつの間にか、
「自分はいくらくらいなのか」という感覚に
近づいてしまうこともある。
脳の中で起きていること
この反応には、
「アンカリング」と呼ばれる仕組みが関わっている。
人の脳は、
最初に見た数字や、
目立つ数字を、
基準点として使いやすい。
売上が下がれば、
それが「今の自分の位置」に見える。
フォロワーが増えれば、
それが「価値が上がったサイン」に感じられる。
数字は、本来ただの情報なのに、
脳はそれを、
自分自身を測る物差しとして
使ってしまいやすい。
それは、
不安を減らすための近道でもある。
あいまいな自分の状態を、
はっきりした数でつかもうとする、
静かな動きでもある。
それが悪いわけではない
この感覚は、
計算高いからでも、
見栄っ張りだからでもない。
人はもともと、
世界を理解するために、
分かりやすい指標を求める。
数字は、その役をとても上手に果たす。
日本の社会では、
努力や頑張りが、
点数や金額や順位に置き換えられる場面が多い。
その中で生きていると、
数字と自分が、
少しずつ重なって見えてくるのも、
自然な流れなのかもしれない。
それは、
自分を大切にしたい気持ちが、
別の形で表れているようにも見える。
余韻
数字を見ると、
自分の輪郭が、
そこに映っているような気がする。
でもその感覚も、
脳が安心できる拠り所を探している
一つの痕跡なのかもしれない。
そう思えたとき、
あの数字の重さが、
ほんの少しだけ、違って見えることもある。
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